キャラたちの言い分

プリキュア“なんか多くね?”問題〜増えすぎたヒーローと多様性の圧力〜

rex-note

朝、子どもとテレビを観ていたときのこと。画面には、変身したヒロインたちがキラキラと駆け回っていた。

「おっ、プリキュアか。懐かしいなあ」と思ったその瞬間、ふと違和感が走る。

なんか、多くね?

キュアピンク、キュアブルー、キュアイエロー……えっ、まだ出てくる?

画面の中に、同時に5人くらいのプリキュアが名乗りを上げていた。

「昔は2人だったのに……」

はじまりは“ふたりはプリキュア”

そう、最初のプリキュアは2人だった。キュアブラックとキュアホワイト。

ひとりは猪突猛進、もうひとりは冷静沈着。

まさに陰と陽。殴ってよし、支えてよし。必要最小構成のヒーローユニットだった。

2人しかいないからこそ、互いの違いが際立つ。「私はブラック派」「ホワイトが好き」と、自分の好みを語りたくなる絶妙なバランスだった。

だが時は流れ、気づけば「5人が普通」

シリーズが続くにつれて、プリキュアは少しずつ“増えて”いった。

3人 → 4人 → 追加戦士 → 5人……気づけば、毎年フルパーティ構成がデフォルトだ。

しかも、ただ人数が多いだけじゃない。

元気キャラ、クールキャラ、おっとり系、お姫様系、オタク系……キャラ属性のカタログ販売状態である。

もはや、追加戦士登場があたりまえになっている。
え、なにこれ?
スマブラの話?

仮面ライダーも「一人じゃ済まない」

この現象、実はプリキュアだけではない。

仮面ライダーにもあてはまる。

かつては“1人の男が変身して悪と戦う”孤高の物語だった。ところが最近では、ライダーが3人…4人…5人…。最終話では「これ何人出てんの?」状態になることもしばしば。

なんなら敵まで仮面ライダーになっている。

仮面ライダー龍騎
1作品で13人のライダー!?

仮面ライダーの数は全部で13人。
生き残りを掛けた壮絶なバトルロイヤルが今、始まろうとしていた。

KAMEN RIDER WEB:仮面ライダー龍騎より抜粋

”始まろうとしていた。”じゃねぇよ。

なぜこんなにもヒーローは増えてゆくのか?

ヒーローはなぜ“増えた”のか?

理由はいくつかある。

まず、視聴者の多様化。たとえば「うちの子はクール系のキャラにハマってて…」という家庭もあれば、「活発で元気な子に憧れてるんです」みたいな声もある。

制作サイドは、なるべく“誰かにとっての推し”を用意したい。すると、キャラの属性が広がり、それに合わせて人数も増える。

そうやってヒーローたちは戦うというより、“属性枠”として戦線に投入されていったのではないだろうか。

「あなたはどのプリキュアタイプ?」「自分を属性で言うと何系?」気づけば、キャラが多いほど、“自分の立ち位置”が求められるようになる。

  • 個性を出せ
  • 自分らしさを見せろ
  • キャラを立てろ

そう言われ続ける社会では、「普通」でいることがいちばん難しい。

誰ともかぶらず、でも目立ちすぎず。適度に尖ってて、好感度も高くて、協調性もあるキャラ。

そんなの就活か?と思えて泣けてくる。

属性を背負わない強さヒーローが増えると、安心する人もいる。

「自分みたいなキャラもいる」「誰かに似てる子がいて嬉しい」それは確かに、“居場所”になる。

でも一方で、こんな声も聞こえる。

「推しがいないと、置いてけぼり」「自分はどこにも分類されない気がして、焦る」

つまり、キャラが増えれば増えるほど、「自分も何者かにならなきゃ」というプレッシャーが増すのではないだろうか。

プリキュアがなんぼのもんじゃい

本当の多様性とは、「モブでいる自由」があることなんちゃうかな。

  • 推されなくてもいい
  • キャラが立ってなくてもいい
  • 名前がなくても、ただそこに“いていい”

モブだって、毎日戦ってる。

ヒーローと同じ色の衣装を着ていなくても、「元気担当」とか「癒し系」とか、明確な“属性”を背負っていなくても、彼らは、自分の物語のなかでちゃんと戦ってる。

誰かの“何か”になる必要なんて、本当はない。属性を追わなくたって、あなたの価値はちゃんとある。

だから今日も、自分らしく立っていこう。

プリキュアがなんぼのもんじゃい。

俺は主人公になれないけど、“無属性”のまま、ちゃんと毎日、世界と向き合っている。

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