さよならSkype──固定電話と恋と、青のアイコン

中学2年のころ、付き合っていた彼女がいた。
でも、当時の自分には携帯電話がなかった。
今でこそ「スマホを持っていない中学生」なんて珍種扱いかもしれない。クラスのグループLINEもなければ、メールすらできない。初めてつき合った彼女との連絡手段は、家の固定電話だった。
今思えば、かなりハードルが高い。
デートの約束をしたいのに、親が出たらどうしよう。
彼女か、彼女の弟が出てくれることに賭けて、電話番号を打ち込む。
「○○さん、いらっしゃいますか?」
その一言に、毎回ありったけの勇気を込めていた。
ときには彼女のお父さんが電話に出て、心臓が止まりそうになったこともある。
そんなある日、彼女が提案してくれた。
「ねえ、Skypeで連絡取ろうよ」
Skype? パソコンで話すやつ?
よくわからなかったが、家にはWindows XPのノートパソコンがあった。
起動に3分はかかるし、画面には見渡すかぎりの草原。
ブオン……ブオン……とモーター音を鳴らして立ち上がる、あの懐かしいマシンだ。
そして、自分は彼女とつながるために、あらゆることを学んだ。
- タッチタイピングの方法
- 「釣りって何?」ネットスラングの意味
- オンラインなのにオフライン表示にする技
- マイクのデバイス設定
- 音声テストサービスの番号「echo123」
パソコンスキルの大半は、Skypeが教えてくれた。
そして、それはすべて「彼女と話したい」という一心だった。
僕は、世界で一番静かな会話空間で、彼女に恋をしていた。
Skypeでのやりとりは、今のスマホとはまったく違う。
通知も、既読も、タイムスタンプもない。「オンラインになっているかどうか」だけが、相手の気持ちを伝えてくれる唯一のサインだった。
寝る前に「おやすみ」とメッセージを送り、既読がつくわけでもないままパソコンの電源を落とす。ちょっとした不安と、それでもどこか嬉しい夜。
通知もタイムラインもなかったけれど、あのとき自分はたしかに、彼女とちゃんと話していた。
しかし、彼女と連絡する回数を増やしたい思いは膨らんでいく。
僕は母に彼女ができたことを報告し、「ケータイを買ってほしい」と土下座した。
母は爆笑しながら、承諾してくれた。
メールが使えるようになり、Skypeを起動する機会はだんだん減っていった。
パソコンを立ち上げて、アプリを開いて、ログインして…という手間が、いつしか面倒に感じられるようになってしまった。
スマホに買い替えてから、Skype離れはさらに加速した。
メッセージや通話はLINEへと移行し、Skypeはタスクバーにひっそりと青いアイコンのまま眠る存在になった。
そして2025年5月、Skypeは静かに幕を閉じた。
「Skype、サービス終了へ」
そのニュースを見たとき、こう思った。
……ああ、あれ、まだ残ってたんだ。
最後にログインしたのがいつだったかも思い出せないのに、どうしてこんなに寂しいのだろう。
あの通知音。あの画面。ふたりだけの、静かな世界。
既読もリマインダーもないやりとりが、そこにはあった。
ありがとう、Skype。
思春期の不器用な愛と勇気を、自分はすべてあの青いアイコンに投げていた気がする。
そして、LINEにも“さよなら”を言う日が来る。
Skypeが終わったように、いつかきっとLINEも終わる。
「通話する?」「スタ連して」「既読無視すんなよ」
そんな言葉も、いつかは過去の言葉になる。
スタンプの履歴、意味のない深夜のグループチャット、通話が終わっても無言で繋ぎっぱなしにした時間。
それらが、“ただのスクリーンショット”になる日。
そのとき、今の中学生たちは、何を思うのだろう。
僕たちはSkypeにさよならを言った。
君たちはLINEにさよならを言うのだろう。
けれど、どれだけ通信手段が変わっても、
「誰かとつながりたい」という気持ちだけは、ずっと変わらない。
ログは消えたけれど、
あの草原とログイン音は、心にしまってある。
恋は消えたけれど、あの「ピロン」という音は、きっと一生忘れない。