思索・コラム

コナミコマンドは、祈りである

rex-note

↑↑↓↓←→←→BA
僕はこれを、いまだに覚えている。

グラディウスをやったことがないのに。

たぶん人生で一番最初に覚えた「意味がよくわからない暗号」だったと思う。

いつ覚えたかも、どこで知ったかも、もう定かじゃない。

近所の年上の子が言っていたとか、攻略本の隅っこに書いてあったとか。

知識というより、空気のように、僕の中に染み込んでいた。

入力すると何が起きるのかも、実は知らなかった。

ただ、なんとなく「これ入れておいた方がいい気がする」と思ってた。

今思えばあれは、「攻略」でも「ズル」でもない。
むしろ、“祈り”だったんじゃないか
──そう、最近ふと思った。

入力とは、祈りの儀式である

小学生の頃、どんなゲームにも「うまくいかないとき」があった。

コンティニューしてもボスが倒せない。体力がギリギリ。敵の動きが理不尽すぎる。

そんなとき、僕はふと、手元でコマンドを入力していた。

↑ ↑ ↓ ↓ ← → ← → B A

ゆっくり、丁寧に。間違えないように。

それはまるで、神棚に手を合わせるような動作だった。

親指でボタンを押す、そのリズムに込めた「どうか助けてください」という気持ち。

当時はそんなふうに考えていなかったけど、今になって思えば、あれは完全に祈りだった。

成功するかどうかは、わからなかった。

そもそも、そのゲームで効くかどうかすら怪しい。

でも、入力することで「やれる気がする」ようになっていた。

ボタンの順番が正解かどうかも、実際には誰も検証していなかった。

でも、あれを押すと「何かが変わる気がする」。
その感覚こそが、祈りだったのだと思う。

誰も検証してないのに、みんな信じてた

考えてみれば、コナミコマンドってめちゃくちゃ怪しい。

僕はグラディウスをやったことがない。

なのに「上上下下左右左右BAを入れたら強くなる」と、ずっと信じていた。

たとえば、マリオでヨッシーを最後まで連れていける裏技がある」みたいな小学生の都市伝説って、大体ウソだった。

でも、コナミコマンドだけは、なぜか信じられていた。

「うちの兄ちゃんが言ってた」
「友達のいとこの話だけど」
「〇〇小では常識らしい」

──そんな感じで、各地の小学校に宗教のように布教されていった。

効くかどうかなんて、誰も試してなかった。

でも、みんな信じてた。

理由は一つ。

「信じたいから」だったのかもしれない。

上上下下左右左右BA──それでも、僕は押し続ける

大人になって、人生は「理屈」で動いていることに気づいた。

でもそれでも、人は何かを信じないと前に進めない夜がある。

努力が報われない夜。
不安で眠れない夜。
子どもが泣き止まない夜。

そんなときに、僕は心の中でそっと唱える。

上、上、下、下、左、右、左、右、B、A。

コマンドを入れてもなにも起きない。
でも、ちょっとだけ気持ちが軽くなる。

それで、いい。

コナミコマンドは、祈りである。
そして僕は今日もまた、
祈るように、ボタンを押す。

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