湿度という見えない暴力について、今こそ語らねばならない

見えない水分に人生を侵略される夏が来た。
梅雨が明けたら、本気を出してくるやつがいる。
「太陽だろ?」と思ったあなたは甘い。
本当に怖いのは、忍び寄る水。湿度だ。
湿度は、”空気のなりすまし”なのだ。
「ただの空気ですけど?」って顔をしているが、汗腺を煽り、ワイシャツを濡らす。
背中が“こんにゃく”みたいにヌメッとしてきたらもう終わりなのだ。
不快さの原因は気温ではないのだ。
湿度が黒幕なのだ。
へけっ!

どうも、てぃらのです。営業やってます。
毎朝15分も鏡の前で身だしなみを整えて家を出ます。
でも湿度の前では、意思もスタイリング剤も無力です。
僕の15分を返してください。
さて、今回語りたいのは、「湿度」についてです。
こいつは正体が地味。
そのわりに、ダメージがデカい。
気温だけなら何とかなる。
日陰に逃げれば多少は暑さを避けられる。
でも湿度は逃げ場がない。
なにせ、空気に混ざっているんでね。
ほんと、全体攻撃のデバフやめてもらえますか?
運営はいつになったら規制してくれるんですか?
湿度はどこから来たのか
湿度は何者か
湿度はどこへ行くのか
──この3つの問いに、人類はまだちゃんと答えていない。だから、ちょっと真剣に考えてみる。
湿度の正体と、湯豆腐
そもそも湿度とは何か。
一言でいえば、「空気中にどれくらい水蒸気が含まれているか」という割合のことだ。
湿度が高いと、汗が蒸発しにくくなる。
汗が蒸発しないと、体温が下がらない。
体温が下がらないと、さらに汗をかく。
この無限ループはまさに「濡れた自分にまた濡れる仕組み」だ。
自分という人間が、湿度の中でひたすら煮詰められていく。

湯豆腐ならまだ食える。
でも俺は、会社員豆腐なので腐る一方である。
組織という鍋の中でグツグツ煮込まれ、崩れる寸前まで我慢して、最後にポン酢かけられて消えていく。
会社員豆腐。商品化はされていない。
ストーカー系気象現象
湿度は、“メンヘラ気質の空気”だ。
電車に乗っても、オフィスにいても、ずっと密着してくる。
湿度「私、そばにいるから」
湿度「今、私を感じてる?」
湿度「ねぇ、邪険にしないでよ」
俺だけに向けたアプローチなら、大切にしてやらんこともない。
でも、老若男女、男女男男女男女を問わずアプローチするのはどうなんすか?
中途半端にアプローチすんなよ。俺だけにしとけよ。
……なんで俺から告白してるんだよ。
お前、全体攻撃だったんじゃなかったのかよ。
さて。
おふざけもほどほどに、ちょっと真面目に語るのだ。
熱中症のリスクが高まるのは、気温だけじゃない。
大事なのは「暑さ指数(WBGT)」という指標だ。

出典:日本生気象学会「日常生活における熱中症予防指針Ver.4」(2022年 改編)
これは、気温だけじゃなく湿度・日射・風なども含めた複合的な指標。
気温30℃ × 湿度70%以上 = 厳重警戒
汗をかいても蒸発しないから、 体が冷えない。
屋内でも湿度が高ければオーバーヒートだ。
エアコンの「除湿」モードは、ただの節電じゃない。
生存のための戦略だ。
命をつなぐ、文明の知恵だ。
にもかかわらず、「送風」にして耐える人がいる。
湿度に殺されたいのか?
湿度は去る。でも残る
夏が終われば、湿度も去っていく。
空気がカラッとして、「今日、涼しいね」って誰かが言う日が来る。
でも僕たちは、湿度の名残をリモコンに刻み続けている。
「冷房」か?「除湿」か? それが問題だ。
うっかり「送風」にしてしまったあの日の後悔は、二度と忘れない。
湿度は“夏という季節の圧”だ。
無言のまま、僕たちの服を濡らし、気力を削り、タオルを洗濯カゴへと追いやっていく。
でも、それでもまた来年、僕たちは湿度と再会する。
なぜなら僕らは、そんな湿度すらも、四季の一部として愛してしまっているから。
──というわけで今日も、僕は除湿ボタンに指を伸ばす。
そしてそっと、こうつぶやくのだ。
「お前、今年も……距離が近いねん」
でもな、俺もちょっとだけ、来るの待ってた。
たぶん俺たちは、暑さの中でしか会えないタイプの友達なんだろうな。