落ちない液体を見つめていたら、自分もまだ途中だった件。

人間にはどうしても言いたくなる夜がある。
スナックのカウンターで唐突に「ピッチドロップ実験って知ってる?」と語り出すおじさんになりたい、そんな夜だ。
どうも、てぃらのです。
ふだんは会社員として、契約書をにらみつけたり、見積書をなだめすかしたり、エクセルの関数に無視されたりして生きています。
月末には数字が暴れ出し、月初には上司が怒り出し、週末には胃がしくしく泣き出します。
毎日、自分で自分に「よくやってるよ」と言い聞かせてます。誰も言ってくれないので。
で、そんな僕が今日語りたいのは、「落ちるまで10年」──いや、「落ちたことすら誰も見てない」ことで有名な、世界一退屈な実験です。
それは、ピッチドロップ実験。
ピッチャーの話とか、音の高さのこととか、ピチピチのギャルとか、そういう類のピッチではありません。
これは「ピッチ(bitumen)」と呼ばれる石油の副産物が、永遠みたいな時間をかけてポタッと一滴落ちる──それだけの話です。
何がすごいのか。ゴイスーなのか。
今日は、ピッチドロップ実験という名の壮大な“放置プレイ”について語ります。
口臭気になるならミントでも舐めながら、ゆるっと読んでください。
ピッチは液体? 固体? そのあいだ?
ピッチというのは石油の副産物です。
見た目はカチカチ、触ってもカチカチ、叩いたらカコンッて音が鳴ります。要は、硬い。
合コンの席で、自己紹介の次に「彼氏いるよ」って言ってくる女子のガードくらい硬い。
でも、ピッチ液体なんです。
スプレー2本使って固めたリーゼントくらい硬いけど、液体らしいんです。うそやろ。
液体って言われてもコップに注げないし、味噌汁に入れても溶けません。なのに、放置すると、ポトッと落ちるらしいんです。
実際、科学界でも「これは液体なのか固体なのか」で議論がありました。流れるのに時間がかかるというだけで、理論上は液体。でも見た目は完全に石。
ようするに、ピッチは物理の“例外”を体現してる存在。
理屈じゃ液体、心では固体。──まるで僕の青春みたいです。
この挙動を観察しようと、1927年、オーストラリアの大学で始まったのがピッチドロップ実験です。
漏斗にピッチ詰めて、「いつ落ちるか」を観察するだけ。
それだけのために、人類は100年近くこの液体の気分を伺っています。
失恋後に元カノのSNSを定点観測する男より根気強いです。
100年の進捗は……
もうすぐ100年です。1927年に始まって、今は2025年。
100年もあれば、決着ついてるでしょう。ねえ、ついててよ。
この100年で、科学はここまで進化しました。
電子レンジが登場して、DNAの構造が解明されて、インターネットが普及して、ChatGPTが生まれた。
挙げ句の果てに、猫がルンバに乗って走る動画が世界中に拡散されるようになりました。
そんな時代を駆け抜けてなお、ピッチの正体は「液体かもね」「いや固体っぽい」でもめてるって、どういうことやねん。
……で、この100年の進捗は?
──落ちた回数 、9回です。
──落ちる瞬間を見た人、0人です。
皆勤スカシ芸。これがノーベル賞と無縁のリアリズムか。
2000年にウェブカメラを導入したそうですが、9回目の落下はまさかのフレーム外。バラエティ番組ならスポンサーが怒鳴り込んでくるでしょう。
しかも落下ペース、だいたい一滴9年です。
Amazonプライムで頼んだら墓場に届く頃合いです。
そして、落ちたからといって特に何も起こらない。
お祝いの花火も上がらない。博士が「やったぞー!」って叫んだ記録もない。
ピッチはただ、無言で、重力にしたがって、ポトッと落ちるだけです。
ほら、ピッチすごいでしょ?
役に立たなさの価値
なんでそんなことやってるのか。
答えは「ロマン」──って言えば聞こえはいいですが、実際は「そうでも言わないとやってられない」系のやつだと思います。
もちろん、基礎研究は大切です。
でも正直、この実験が明日の僕のご飯になるとは思えません。
ピッチを9年見守っても、焼肉は出てこない。カロリーにはならない。でも、価値はある。
なぜか。
今日役に立つことは、明日役に立たなくなるからです。
そして、そういう“役立たなさ”が未来の基礎になっていくからです。
あれ、これって……人生では?
滴り落ちる人生、落ちない希望
僕らも毎日、なにかを“落とす”ために耐えてます。
脂肪を落とす、やる気を落とす、スマホも落とす。
ついでに、財布の中身と信頼もちょっと落ちてます。
落ちたら困るもんほど、先に落ちるのはなぜなんでしょう。
人生で落としていいのは脂肪だけですが、脂肪はピッチくらい落ちるのが遅い。
一方ピッチは、そんな雑念とは無縁です。
ただ、ゆっくりと、地球の中心に向かって落ちていきます。BGMはたぶんエンヤ。
この実験を知ると、人間がどれだけ“急ぎすぎ”かが分かります。
なんでもすぐに結果を求めがちなこの時代に、「100年後に落ちたらええねん」と言い放つピッチの悟り感よ。
僕も見習いたいです。
仕事で結果が出なくても、「いや、まだ滴ってないだけなんで」と言い張っていきたいです。
そろそろ自己啓発本とか出そうじゃないですか?
タイトルは『落ちる力』。
帯には「結果は、いずれ滴る」。
Amazonレビュー星4.6です。
「人生に悩んだとき、そっと読み返したくなる本です」って書いてあります。知らんけど。
……とまあ、ここまでふざけ倒しましたが、ピッチドロップ実験が教えてくれるのは「観察とは、信じること」だと思います。
落ちるかどうか分からない。
落ちるとしても、いつになるか分からない。
それでも、見続ける。
科学は、そんな“めんどくさい信頼”でできてるんです。
ピッチドロップ実験、次の滴下予定は2030年代後半らしいです。
その頃には僕もたぶん転職してるし、娘は反抗期だし、このブログもどうなってるか分かりません。
でもピッチは、たぶんまだ滴ってます。
そんなこと思いながら、今夜もそっと、ライブカメラを開いてみます。
画面の向こうには、一滴の影──
今日も、動いてません。
でも、たぶん。
ちょっとだけ、近づいてる。
そしてそれは、
「何も起こらない日々」の中で、確かに変わっていた何かの証かもしれません。
ピッチはまだ落ちていません。
僕らの人生もまた、まだ途中なのです。
──それだけでも、けっこう嬉しいのです。