ポケモンの技、バランス崩壊してない?──社会人に効く“はかいこうせん”の話

毎朝、目覚ましを止めたあと「今日は、ちいさくなりたい」と思ってしまう。そんな日がある。いや、だいたい毎日そうである。
「会社に行きたくない」という感情を“自己暗示”という技で包み、「スーツ」という“みがわり”を着こなし、エレベーターで上司に会った瞬間に“でんじは”を受けたように体が硬直する。
──どうも、てぃらのです。
副業と育児とブログに追われ、家の中では“がまんのかべ”が壊れっぱなしの会社員です。
さて本日は、世界の任天堂が生み出した最強の社会現象、《ポケットモンスター》についてお話ししたい。
中でも今日は、「技」について語らせてほしい。そう、ポケモンバトルを構成するあの“技”である。あまりに有名すぎてみんな忘れてるけど、あれ、割とバグってないか?
ポケモンの技、バランス崩壊してない?
「いや、バランス崩壊してるのはお前の人生や」と言われそうだが、ちょっと待ってほしい。
ポケモンの技構成をじっくり見ていくと、とんでもないことになっている。
たとえば初代。プレイヤーなら誰もが通る“ケンタロス無双”に代表されるように、「ふぶき(凍る率30%)」「じしん(命中100威力100)」など、明らかに調整ミスな技がある。
【これが初代ポケモンの“仕様”です】

当時の「はかいこうせん」、実はこんな恐ろしい仕様でした。
→ 元記事はこちら(ポケモンクロニクル)
つまり一撃で相手を倒し続けることができれば威力225の技を連続で打てるということになります。
当時はこれで3タテすることも少なくなかったそうです。
クソゲーぢゃん。
さらに「きあいパンチ」や「がまん」「アンコール」など、シナジーや前提条件の破綻が激しいものも多い。
でも、それがなんか“許されてる”。
これって、ちょっと怖くないですか?
というわけで今日は、ポケモンの技に潜むバランスの狂気と、それを人間社会にたとえてみたら──という話をします。
お茶でも飲みながら読んでください。
この世界は「はかいこうせん」でできている
小学生の頃、僕らの誰もが一度は叫んだであろう言葉がある。
「カイリューの“はかいこうせん”強すぎやろ!!」

そう、はかいこうせんである。
威力150、命中90、使ったら次のターン動けない──なんて書いてるけど、子どもの僕らにとっては“名前のカッコよさ”だけで最強だった。
はかい、って。
こうせん、って。
その語感だけで勝ちが確定してる。
大人になってからも、なんかこういう“名前で殴ってくるやつ”に弱い。
「カスタマージャーニー」
「エンゲージメント戦略」
「ヴァリューの最大化」──全部、言葉が“はかいこうせん”っぽい。威力高そう。
でも使うたびに「反動で2日寝込む」から注意が必要だ。
技バランスの闇
さて、話を戻そう。
ポケモンにおける「技のバランス」とは、戦略と個性と運ゲーの三位一体である。
だがそれゆえに、時として“バグ”のような技が生まれる。
たとえば:
- 【まもる】
連続使用の成功率ダウン
でも「みがわり」を間に挟めば「まもるループ」が成立する - 【さいみんじゅつ】
命中55%、でも当たったらほぼ詰み - 【ちいさくなる】
回避率アップ、仕様上“必中技”以外が当たらなくなる - 【ねむる+カゴのみ】
自己再生ループの完成 - 【どくどく】+【まもる】+【たべのこし】
これは社会の縮図
もはやバトルというより、職場の縮図である。

「いかに自分が傷つかずに、じわじわ相手を消耗させるか」。
こすい! でも勝てる!
だからやめられない。
でも、だからこそ“全体バランス”を取るのが異様に難しい。
技の一つ一つがシンプルに見えて、組み合わせとシステムの相性で“壊れる”。
技の一つ一つがシンプルに見えて、組み合わせとシステムの相性で“壊れる”。
これは、Excelの関数に似ている。
一つだけなら「まあ便利だね」で終わるのに、「IF」と「INDEX」と「MATCH」が組み合わさると、突然“仕事の要塞”ができあがる。
──論理的で、美しくて、そして誰もメンテナンスできない。
そんな危うさを孕んだ「正しさの塊」こそが、バランスブレイカーの正体なのかもしれない。
人間社会にも“みがわり”はある
みがわり。
この技、ポケモン界隈では神である。
自分のHPを1/4削って“身代わり人形”を設置することで、状態異常も防げるし、相手の動きを読める。

これ、会社でも使えたらいいのに。
「すみません、本日の会議、僕の“みがわり”を置いておきます」
って言って、無表情の等身大フィギュアを座らせておく。
──でもきっと、誰も気づかない。
部長「◯◯くん、今日も静かだね」
僕の等身大人形「…………」
部長「うむ、いい返事だ」
社内評価が上がってしまう。怖い。
でも、現実の“みがわり”って、けっこうある気がする。
テンプレ挨拶、業務メールの定型文、スーツの折り目。全部、自己防衛の皮である。
“ほんとうの自分”を見せるとやけどする時代。だから、人はどこかで「ちいさくなる」し、なるべく「ひかえめ」な性格で生きようとする。
それでも、ふとした瞬間に“はかいこうせん”を撃ちたくなる。
この会議を吹き飛ばしたい──この日報を焼却したい──このZoomを爆発させたい──
でも、撃ったら反動で寝込むのは自分である。やっぱり、「なまける」ほうがコスパがいい。
それでも“わざマシン”で生きていく
ポケモンの世界には「わざマシン」というシステムがある。
自分のポケモンに、あとから“技”を覚えさせる道具。
「なみのり」「れいとうビーム」「シャドーボール」──なんでも教えてくれる。頼もしい。
これは、人間界にもある気がする。
本、セミナー、Youtube、ChatGPT──全部、現代の“わざマシン”じゃないかと思う。
最初は「たいあたり」しかできなかった自分でも、いつの間にか「おんがえし」を覚えてたりする。
──覚えた技で、誰かを笑わせたり、助けたり、ちょっとでも世界をよくできるかもしれない。
もちろん、たまに「はねる」しかできない日もある。しょうがない。
でも、それでいい。
覚えているワザが弱くても、僕は誰かのために、バトルしつづけよう。

最強の技は「だいばくはつ」じゃない
結局、最強の技ってなんなんだろう?
ダメージ量なら「だいばくはつ」かもしれない。
でも、僕がいちばんすごいと思うのは「ねがいごと」だ。
“1ターン後にHPを回復する”だけの技だけど──これは「今じゃなくて、未来のために動く」っていう、めっちゃ尊い発想だと思う。
しかも、「ねがいごと」って、自分じゃなくて“味方”にも効果がある。
そう。
僕らも、誰かに「ねがいごと」できる存在になりたい。
いま目の前で戦っている人に、小さくでも“回復”を届けられるような、そんな技を使えたら。
そして願わくば、いつか自分にも「ねがいごと」が届きますように──
今日も、たたかうあなたに「ひかりのかべ」を。
そして、明日の自分には「じこさいせい」を。
──これは、そんな“バトル”のなかで覚えた、僕のわざマシン第1号でした。