ワルイージはなぜ愛されるのか?主役になれなかった男のしくじりと希望

突然だが、「しくじり先生」という番組をご存知だろうか。
一言でいうと、芸能人やスポーツ選手、政治家や文化人が、
自らの失敗を語り、それを教訓として他人に伝えるテレビ番組だ。
発表者が抱えていた苦悩を綴るパートは目頭が熱くなり、
胸を熱くするようなプレゼンに、お笑い芸人が笑いを重ねる。
学びと遊びのバランスが完璧なコンテンツだ。
“しくじり”を価値あるコンテンツに変換していくという点で、僕はこの番組が本当に大好きだ。
笑える。学べる。泣ける。
この番組には、人生を“読み解くヒント”が詰まっている。
で、ある日ふと思ったのだ。
“しくじり先生”として紹介するなら誰を呼びたい?
真っ先に思い浮かんだのは──この男だった。
ワルイージ。
細くて、紫で、ヒゲをつまんでいるコイツだ……。

「どのゲームの主人公だっけ?」と聞かれたら、だいたいの人が説明に困る。
彼の歩んできた“報われないキャラ人生”は、思っているより深い。
何者にもなれなかった男が、なぜ今も生き残っているのか。
どうしても見たい。
地上波で、スーツを着て講義台に立つワルイージを。
でも、任天堂がそれをやってくれる日は来なさそうだ。
なら──俺がやるしかない。
今から君たちに、“愛されない男”の授業を始めよう。
人数合わせのために生まれた男
ワルイージの初登場は、2000年の『マリオテニス64』だ。
しかし、彼の誕生にドラマはない。

生みの親へのインタビューでは以下のように綴られている。
—— そもそも、ワルイージを登場させようとしたきっかけは何だったんですか?
秀五 テニスのダブルスでチーム戦をやるときに、例えばマリオとルイージといったように、対になるキャラクターでチーム分けをしていくと、「ワリオは誰と組むの?」っていうことになったんです。
出典:Nintendo DREAM WEB ワルイージ誕生秘話(2008年 9月号より)
そう、マリオテニス64のダブルスチーム戦で、ワリオのペアが足りなかったのだ。
ダブルスモードにおける“人数合わせ”の必要性。
それだけの理由で、ワルイージが誕生する。
背景設定もストーリーもない。
「なぜ悪いのか」「どうしてこうなったのか」すら表舞台では語られない。
背は高く、体は細長く、ヒゲはL字に曲がっている。
カラーリングも紫と黒で、一見すると“悪役風”だ。
だが、その内実はあまりに空っぽだ。

言うなれば、主役の影の、さらにその影。
悪役ですらない、「とりあえず置かれた存在」なのである。
本編に出られない人生
まず、ワルイージは、20年以上にわたって任天堂作品に登場しているベテランキャラだ。

しかし、そのほとんどは『マリオパーティ』や『マリオカート』などのスピンオフ作品に限られる。
つまり、『スーパーマリオ』シリーズの物語の軸に登場したことは一度もない。
RPGにも、冒険譚にも、彼の出番はない。
彼は、ダブルスのために生まれ、本編に出られない不遇なキャラクターなのだ。
にもかかわらず、彼は存在し続けた。
ただ、ここにも悲しい理由がある。
存在し続けることができたのは、“人気”や“深掘りされた設定”によるものではないのだ。

開発側にとって、ワルイージはとても都合のいい枠だったから存在が許されているだけなのだ。
- 4人プレイにちょうどいい
- 空気すぎず、主張しすぎない
- ポーズを決めても不自然じゃない
その“ちょうどよさ”によって、
彼は数合わせやバランス調整のために呼ばれ続ける存在となった。
もちろん、彼に個性がないわけではない。
背は高く、体は細長く、ヒゲはL字に曲がっている。
声は甲高く、挙動も独特だ。
だがそれらは、ゲームの主人公として設定された特徴ではない。
彼は“キャラクター”というより、もはや“記号”だ。
“キャラ”ではなく“記号”として存在する男
ゲームのキャラクターには、それぞれ「物語」がある。
ヒーローとしての使命。宿敵との因縁。
あるいは、成長や挫折のストーリー。
だが、ワルイージにはそれがない。
彼は、人数合わせのために生まれたキャラクターだ。
だから、ストーリーが与えられていない。
彼のポジションはいつも宙ぶらりんだ。
- 守るべきプリンセスがいない。
- ワリオとは兄弟でもない。
- クッパみたいな悪役にもなれない。
- ルイージのライバルとして認められていない。

見た目にはインパクトがある。
色は紫、帽子には逆さの「L」。
声は妙に高く、動きも奇妙。
だがそのどれもが、「理由あっての個性」ではない。
設定がないまま、パーツだけが先に立っているのだ。
その結果、ワルイージは“記号”としての存在になった。
理由なくして生まれたキャラは、愛されることがないのだろうか?
何者にもなれなかった男が、“唯一無二”になるとき
長らく、「何の役にも立たないキャラ」として扱われてきたワルイージ。
主役になったこともなければ、物語の鍵を握ったこともない。
ゲーム内では、ずっと“その他大勢”の一人だった。
だが近年、SNSを中心に、少しずつ風向きが変わりはじめている。
ワルイージに熱い視線を注ぐファンが増え始めたのだ。
その理由は明確だ。
“不遇”が、個性になったのだ。
ついに、海外で声が上がりはじめた。
大手キャンペーンサイト「change.org」にて、
『大乱闘スマッシュブラザーズ』にワルイージを参戦させようという署名活動が立ち上がった。

「なぜ彼だけが呼ばれないのか」
「ずっと待っているのに」
そんな想いを抱えていたファンたちが、ついに声をあげたのだ。
その署名数は、8万人を超えた。
結果として、スマブラ参戦は叶わなかった。
だが、この運動は確かに波紋を呼んだ。
SNS上でも、
といった声が散見されはじめた。
ストーリーが与えられなかったキャラが、現実でストーリーを持ち始めた瞬間だった。
かつて「何者でもなかった」ことが、
今では「無視できない存在」へと変わりつつある。
誰もが愛するわけではない。
でも、放っておけない。
ワルイージは、
“世界が放置しすぎた男”として、逆説的に唯一無二になっていった。
「俺みたいになるな」──それでも愛される力とは?
もし、ワルイージが、しくじり先生の教壇に立つとしたら──
彼はこう言うだろう。
「俺みたいになるな」と。
物語も、名台詞も、熱いライバル関係もない。
メインビジュアルに映ることもなければ、看板を任されたこともない。
呼ばれた理由は「人数が足りなかったから」。
与えられた名前は「悪いルイージ」。
役割は、曖昧なまま。
それでも、彼はゲームの中に立ち続けてきた。
誰も注目しない場所で、画面の端っこで、存在し続けてきた。
すると、8万人のファンが署名による講義を起こし、SNSで応援する風が吹き始めた。
なぜなのか?
メインタイトルも持たず、役割が曖昧なキャラなのに。
ワルイージは、なぜ愛されているのか?
きっとそれは、諦めなかったからではない。
努力したからでもない。
そこに“いてくれた”からだ。
いてくれることが、理由になる。
必要とされたわけじゃない。
でも、「いてくれたら助かる」存在だった。
はっきりと役割を持たない人間は、
時に、自分の価値がわからなくなる。
でも、そういう人こそが、
誰かの居場所を作っていたりする。
メインストーリーに登場しなくてもいい。
立ち位置が不明確でもいい。
大きな声で語れなくても、
ちゃんと、誰かの記憶に残ることがある。
ワルイージが教えてくれるのは、
「愛されないこと」に耐える力であり、
「愛されないままでも、存在していい」というメッセージだ。
主役じゃなくてもいい。
語られなくてもいい。
どんな役にもなれなくても──
それでも、存在には意味がある。
さいごに

ワルイージは、主役になれなかった。
でも、いなくなっていたら、たぶん寂しかった。
いつも画面の端にいる彼が、
いてくれるだけで“世界が完成する”ような気がするのだ。
立場を与えられなくても、
拍手を浴びなくても、
それでも、その存在が誰かの居場所を守っている。
ワルイージは、何者にもなれなかった。
でも、“誰かにとって必要な存在”ではあった。
だからきっと、
僕たちも、何かになれなくても、大丈夫だ。